After a long time, I am.

日々のメモ

永い言い訳

永い言い訳」を観た。

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妻と大喧嘩?の真っ最中でもあり、思うことの多い映画だった。
Amazonレビューに良いコメントがたくさんあり、観たあとも考えさせられた。

主人公のサチオが、亡妻が遺した携帯電話に残っていた下書きメッセージ「もう愛していない。ひとかけらも」を見て怒って携帯電話を床に叩きつけるシーンがある。
そこまでかなり感情移入しながら見ていたが、「あ、それ気づいてなかったんだ」と、ちょっとピュアすぎる主人公だなと笑ってしまった。
自分は頭にくることがあるとメールの下書きで書いたり、メモ帳に同じようなことを書きなぐったりするので亡妻の気持ちがよくわかった。
自分も書くことがあるのだから、他人も当然書くことはあるだろうと思っている。
もちろん妻も。
もしうちの妻がそういうメッセージを書いていて、自分が見つけたとして、自分も怒りはするだろうと思った。
ただ、それが全てとは思わない。人間は日々変化していて、特に感情はナマモノで、ある時は顔も見たくないほど嫌な時もあれば、ふと優しい気持ちが湧いてくる時もある。感情が高じた時は、凄くロマンチックなことを書いたり言ったりもするし、怒っていれば非道い言葉を書いたりする。
そういえば、相手を非難するようなメッセージをそれとなく相手に見せるというテクニックは、効果的ではあるが、自分ぐらいの歳になるとそういうのを見つけた時、なんて子供っぽい、幼稚な仕掛けなんだろうと思ってしまう。それとなーく相手の悪口を書いた日記をちょっとめくりたくなるような場所に置いとくとか笑

遺された言葉は全てじゃなく、言葉は一時の感情の発露でしかないから、それがその夫婦生活の全てを表すのじゃないと。自分は思っている。

Amazonレビューのコメントの中で最も感銘を受けたのは「愛はいつも遅れてやってくる。」というもの。
日々を愛する、一日一日を大事に生きる、誰かに愛情を注ぐ。感動的な映画や本を見るたびにそう生きたいと思ったりするが現実の日常の中ではすぐに忘れてしまう。
愛しながら生きるということの難しさを感じざるをえない。
結局の所、他者や日々の様々なことは生き物であり、自分の感情も生き物ということだ。
それでも、一日でも他者に優しくなれる日を増やしていけるだろうか、と。
自分に問いかける気になるような。良い映画だった。